不忍通り

古い友人に案内を請うて、不忍通りを巡る。
友人は、なぜか古書店ばかりを案内して回る。
僕は「今日の目的は本ではないのだ」と言いながらも、既に文庫で持っている向田邦子『父の詫び状』の
新刊書(二十刷)を買ってしまい。さらに、金子光晴を2冊買ってしまう。
値段は、地代のせいか吉祥寺の古書店よりも高いという印象だ。

古くからある洋食屋で、しっかりとご飯を食べた後、友人に従って
2つばかり、穴場的なカフェとも飲み屋ともつかぬ店を巡った。
古い民家を残すべく喫茶スペースになったお店では
「今夜はミーティングがあるので、営業は6時で終いです」と断られ。
次に向かった素人くさい店では「誰の紹介でしょうか?」と怪訝な顔をされる。
さいわい、友人の奥さんが谷中の古い民家を残すNPOとやらに参加しており、
共通の知人の名前を挙げたら、快く店に入ることを承諾された。
素直に友人の人脈に感謝すべきなのだろう。しかし、僕が釈然としないのは、東京のど真ん中で
こんな素人に毛の生えたような店が、堂々と一見さんお断りをやってのけるとゆうことだ。
切り盛りする女性は、まだ若く非常に魅力的な女性だ。ひょっとしたら20代かもしれない。
すると、汚れた考えかもしれないが、金を持った年上の男を背後に想像してしまうのだ。
ひさしぶりに日本酒を注文するが、彼女と僕の友人は、そのNPOに所属する○○さんが、どーしたこ−したと
19世紀の貴族のサロンのような会話を延々と続けている。高円寺や下北沢でも、よくある話しだろう。
友人が「この人は世田谷から来たんです」と紹介したので、話しの端緒と思い
「震災後に浅草から移した寺町の近くに住んでいます」と言う。すると、なぜか彼女は沿線のまったく別の駅の
名を挙げ「駅を下りると、目の前に大きなビルがあって、住みにくそうだと思いました」とスットコドッコイな
返答をする。僕は、きっとその時に「ビルが嫌いなら東京から出て行け!」と言うべきだったんだろう。
谷中という土地は大好きだ。しかし、あの土地に住む人々が持つ「自分は、東京の特別な場所に住んでいる」といった
プライドは、代々木上原の奥様や目黒に住む業界の方々のそれよりも、高く捻じ曲がっているのではないかと思う。
寺町だの緑が多いだの言っても、しょせんは東京じゃないか。思い上がりやがって、空襲で焼けちまえばよかったんだ。

店を出た後、友人に「神経を使う店だ」と本音を告げてしまう。