街道をゆく〜関ヶ原生活美術館、平和の杜

ゆうべは、ちょっとバタバタしていまして、UPできませんでした。それでは、続いて2日目です。長いです!

23日朝、弥次さん喜太さん大垣より東海道本線関ヶ原へ向かう。
関ヶ原駅周辺は、シーズンのオフのせいか人もまばらだ。もっとも関ヶ原にハイシーズンなんてものがあるのかは知らないが。
駅を出たところで、エディ氏がネットの友人であり、当ブログにもコメントを寄せていただいている、猫ヶ原女史に連絡。
女史は、当地で美術館の管理人をしてらっしゃる。岐阜まで来たからには猫ヶ原さんにも会いたいし、美術館にも行こうではないかとの運びになった。
関ヶ原までくれば、猫ヶ原さんが車で迎えに来てくれる手筈になっている。
エディ氏が電話で女史と連絡をとっている間、俺は駅前の観光案内所で、ぼんやりと掲示印刷物を眺める。
そのうちの一つに、武将Tシャツなるカタログを発見。東軍西軍それぞれの家紋を配したTシャツが売っているようである。
井伊直政は、赤地に井桁の家紋が胸にワンポイント。うーむ、井伊の赤具えかぁ、これは欲しいかもしれん。と思ってるところへ、
後ろから、観光案内の人が声をかけてきた「そのTシャツは、ここでは売ってないけど、資料館に行けば買えるよ」
振り返ると、紺地に赤い刺繍でBマークの年季の入ったベースボールキャップを被ったジイサンが立っていた。
ボランティアで、駅前の観光案内をやっているそうだ。初めてかい?と聞かれたから、そうですと答えると、東軍西軍の陣地跡の説明が始まった。
しかし、俺の目はジイサンのベースボールキャップに釘付けで、話なんかろくすっぽ耳に入ってこない。
思わず「その帽子、昔の阪急ですか?」と聞いてしまった。(これは俺の間違いで、後で調べたら紺地に赤いBは昔の近鉄バッファローズだ。)
ジイサン「これかい?これは大分古いよ」
俺「かっこいいですねぇ」
ジイサン、もうひとりのボランティアのオバサンに向かって、照れくさそうに「帽子誉められちゃったよ」
年季はいってんなぁ。かっこいいなぁ。と俺ジイサンの帽子に夢中。後ろはどうなってんだろうと思って、
失礼ながら、じいさんの頭の後ろを覗き込んだ。すると帽子の後ろにMLBマーク!これボストン・レッドソックスじゃないか!
なんで、関ヶ原のジイサンがこんな古いレッドソックスの帽子被ってんだ?唖然とする。
そこへ、猫ヶ原さんとの連絡を終えたエディ氏が近づいてくる。
ジイサン、職分を思い出し、エディ氏と俺に向かって関ヶ原合戦について語りだす。長い。熱もこもってくる。
エディ「えぇ、友人が迎えにきますので…」
ジイサン「あんた達は、どこから?名古屋かい?」
エディ「東京です」
ジイサン「俺も昔は、東京にいたんだよ。軍属でさ」
ぐ、軍属ぅ!?東京で軍属ぅ?
ジイサン「上野にいたんだ、あそこらへんはよく知ってるよ。浅草にもよく行ったよ。エノケン、ロッパ…」
俺「カジノフォーリーですか!では、益田キートンや左朴全の舞台も見てらっしゃる!」
ジイサン「あの頃ぁ、10銭あれば映画が観れたからね、懐かしいな、まだ18、19歳くらいだったかな」
俺「では、PCL時代の清川虹子も観てらっしゃる」
なんてことだ、こんなところで、こんなオーラルヒストリーを拝聴できるとは!
感激に震える俺。ジイサン、また職分を思い出して合戦についての講釈が始まる。
まぁまぁ、この際、戦国武将のことなんて、どうでもいいじゃないですか。
俺「当時の上野浅草といえば、空襲を経験なさってらっしゃいますよね」
ジイサン「ああ、忘れもしないよぉ。3月10日のことだよ」
俺「たいへんだったんでしょうね」
ジイサン「何にも無くなっちゃって、吾妻橋から西郷さんの像が見えたよ」
ここらへんで猫ヶ原さんが車で到着。ジイサンに別れを告げる。凄い一日の幕開けだ。

レッドソックスのジイサン、いつまでも元気でいてください。


猫ヶ原さんと、オフで会うのは初めてなので、改めてみんな自己紹介。
猫ヶ原さんは、アウラ的な外見だが、行動力のありそうな素敵な女性である。
エディ氏、車内でかかるステレオラブに反応。目ざとくグローブボックス内のVUのボックスセットも発見。
お二人で、ルー・リードの話に花が咲いている。
車中、猫ヶ原さんから、美術館が企業の敷地内にあること、社員の集会所を兼ねていることなどを説明される。
それゆえ、特に外に向かって美術館のWEBサイトなどを持っているわけではないらしい。
といって、閉ざされているわけではなく、見学は基本的に自由だそうだ。
口コミで遠くから訪ねてくる人や、迷い込んで来る人も、歓迎しているとのこと。
車は工場の門を通過。広い敷地に大きな工場が何棟か建っている。
少し走ると、工場の奥にこんな緑がとゆう場所に出る。ところどころに彫刻作品が置かれている。
勾配屋根のついた趣味のいい集合住宅が並んでいる。これが社宅なのだそうだ。
まさか、ここが大きな工場の裏とは思えないほど静かで、上品な郊外住宅のよう。電柱も立っていない。
そのまた奥にあるのが、猫ヶ原さんが管理をなされている生活美術館。
綺麗に手入れされた芝生の庭にも、野外彫刻が配置されている。
小生、彫刻は門外漢にして名前は存じ上げないが、高名な作家のものらしい。
もちろん、美術館の中にも彫刻、壁には何点かの抽象画。絵画は他にも所蔵されていて、定期的に掛け替えているそうだ。
猫ヶ原さんの仕事場に通される。本がいっぱいだ!谷崎訳「源氏物語」、福永武彦全集、三島の単行本。
会長の奥様の所蔵とゆうこと。貸し出しも行っているらしい。
この会長さんとゆう方が、メセナに積極的で大変趣味がいいのが、よくわかる。
少ししたら、猫ヶ原さんのお昼の休憩になった。「お昼を作っておきましたので、ご一緒しましょう」と誘われて、
社宅前の綺麗な芝生の上で、草上の食事。生ハム、ポテトのオムレツ、ラタトゥーユ、ハーブのパン。
旅行中の我々には、ワインを振舞ってくれた。信じられますか?こんな素敵なランチ。こんな幸福な時間。
食事が終わると、「仕事に戻りますので、お二人でブラブラとしてってください」と、平和の杜への道順を教わる。
飲み残しのワインの瓶を片手に、エディ氏と二人、茫々と生い茂る野原に展示されている彫刻を辿りながら、
平和の杜へ向かう。刈り取られたばかりの稲の匂い。彼岸花、コスモス、黄花コスモス、デージー

お寒い表現でまったく恐縮ですが、まるで天国のようだ。
東京から来て、ちょっと見て通り過ぎていく奴だから、そんな気楽な言葉が吐けるんだ。との批判は承知の上。
確かに第一次産業は厳しいだろうと思う。しかし、今日訪れた工場は、京浜工業地帯にあっても何の違和感も無い企業だ。
そこに従事している人も、この美しい土地の四季の移ろいを、毎日感じているんだ。
人は、いったい何故東京に住むのだろう?我々は、まるで「ローカル・ヒーロー」のピーター・リーガートのような気持ちになった。

「帰りたくない。ここに残りたい。僕らは、きっと良いアーカートになれると思う」


平和の杜から戻り、猫ヶ原さんに関ヶ原駅まで車で送ってもらう。
我々の胸中ではマーク・ノップラーが「Goin' Home」を奏でている。
関ヶ原着。驚いたことに、まだ4時にもなっていなかった。
二人で、今日という一日の時間の濃厚さに驚く。
そんな時間を満喫させていただいた、猫ヶ原さんにおおいに感謝いたします。
関ヶ原を境に、エディ氏は東京へ戻り、俺は更に北陸への旅が続く。
お互いの無事を祈って、東と西へ。