映画と水を巡る冒険 函館〜大湊〜『飢餓海峡』の湯治場

11月03日(月曜日)大雨。函館には一晩泊まっただけで下北半島へ移動しなければならない。ホテルを8時過ぎには発って函館駅に向かう。

やはり市電には乗りましょう。


函館発08時48分の『スーパー白鳥14号』で青森に向かう。津軽海峡を越えると雨はあがっていた。このまま野辺地まで行くか、青森発11時40分の『つがる16号』に乗ると、野辺地から快速『きらきらみちのく』に乗れる。乗ってみたい列車ではあるけれど、大湊に早く着いたところで一日に三本しかない路線バスの時間は決まってるので、青森で下車して1時間ほど市内の散策。12時00分発の各駅停車で野辺地に向かう。

野辺地到着。



13時05分発、大湊線のキハ100形気動車。一両編成のワンマン運転


有戸、吹越、陸奥横浜と進行方向左には陸奥湾の素晴らしい眺めが続く。最後部の窓に張り付いてシャッター押しまくり。




もうオナカいっぱい。



終点大湊に到着。



ここから脇野沢行きのJRバスに乗る。


バスの時間まで1時間20分。その間に大湊の町の探検に出かける。港町といえば遊郭。まして大湊は軍港である。昭和39年公開の内田吐夢監督『飢餓海峡』では大湊の娼家で左幸子三國連太郎と出会う。どこらへんで撮られたのか探しに行ってみる。もちろん娼家なんて残っているわけはないが、色町の形跡は残っているはず。道行く人に昔売春宿があったのはどこらへんですか?なんて聞けるわけが無いけれど、たいがいの場合は飲み屋街に変貌しているのでそこらへんをあたればいいのだ

というわけで、どうやらここらへんが大湊の歌舞伎町のようす。

迷宮に足を踏み入れる。

飢餓海峡』の痕跡を発見!監督ここで飲んだのか?

うーん、はたしてここだったのだろうか?しかしスナック吐夢は収穫だったな。

おや佐野周二の孫も来ているんですね。


大湊の駅に戻ってJRバスを待つ。ひたすら待つ。来た15時27分発の脇野沢行き。このバスに乗って川内までおよそ40分。

川内到着。すでに16時過ぎ。


ここから17時35分発の川内交通バスに乗って湯野川温泉に行くと到着は18時過ぎ陽がくれちゃうよ。日沈前に到着したいのでタクシーを呼んだ。

なんとか日没間際に湯野川温泉共同湯濃々園に到着。


すでに17時過ぎ。雨も降ってきた。函館からもこんなにかかるのかよ。
ここは下北半島のほぼど真ん中。携帯も通じない。なんでこんな苦労してここまで来たかというと、ここで『飢餓海峡』のロケが行われているのだ。左幸子が樵をしているオドサマの加藤嘉と湯治に訪れたのがこの湯野川温泉。当時の共同浴場は無くなってしまったけれど、この濃々園には、映画のスチールや、内田吐夢三國連太郎左幸子伴淳三郎のサイン色紙がある。
入浴料\350を払ってスチールを見学。色紙を探す。…見当たらないんですけど。受付の女性に訊いてみた。
「あのサイン色紙ってどこにあるんでしょうか?」
「あ、今青森の森林博物館に貸し出しているんです。先月いっぱいの約束なんですけど、まだ戻ってこないんですよ」
えー!それを見にここまで来たのに!

何しにここまできたんだよ…。青森森林博物館は約束を守れよ!


すっかり落胆したけれど、お湯に入らないで帰るのも馬鹿馬鹿しいので浸かってきた。落胆したけれどいいお湯だった。落胆したけれど露天の景色も素晴らしかった。
この夜は湯野川温泉の旅館に泊まる。『リアリズムの宿』みたいな貧乏くさい旅館だったけど夕食は美味しかった。なんにもない山の中で時間はたっぷりある。旅の間のメモを整理したりスケッチを描いたりして過ごし、雨とせせらぎを聞きながら眠りに就いた。